考えさせられたアフリカらしい出来事

こんにちは、菊山です。

最後の更新からだいぶ間隔が開いてしまいました。色々と忙しかったのと、体調を崩したのと、地域で電気工事由来の停電が定期的に起こっていたのと、いくつかの寄稿依頼を頂いたのが重なって、こうして久々に投稿しているしだいでございます。

この間、活動でも生活でも、書き残しておきたい出来事が多くあったので、少しずつ時差投稿していきたいと思います。お時間あるときに覗いてもらえると幸いです。

 

任地で起きた考えさせられた出来事

任地ラカイ県は、ウガンダで初めてエイズ患者が見つかった不名誉な歴史を持つ場所です。それ故、80年代90年代は世界各国からNGOやドナーが支援に入っていたそうですが、今ではそのほとんどが撤退し、多くの問題は残されたままとなっています。それらの団体の当時の看板が錆びて斜めに立っているのを見る度、支援の継続の難しさを思い知らされます。物やサービスを無償で受けることに慣れた住民の考えを変えるのは難しい、と県庁に勤める友人と語り合ったりもしました。

そういった背景のある任地でかれこれ20ヶ月活動しているわけですが、先日は時々行く村の女性のところに見知らぬ女の子が居ました。今まで見かけたことのない女の子でしたし、その前の週から学校が始まったというタイミングで変だなと思っていました。

庭から女性が帰ってきたときに話を聞くと、どうやらこの子が2つ年上の仕事を探して遠くから歩いていたところを、その女性が保護したとのこと。

母親はHIVポジティブで、今は陽性患者を世話するNGOの施設に居て、父親は物心ついた頃から居なかったそう。

母親がこの子たちに持たせた、この子たちの養育を願う手紙以外は何にも持ち物を持っていなかったそう。

行き場のない女の子たちを、その女性はしばらく保護するつもりとのこと。近く役場まで養育権を取りに行き、私立の小学校にこの子たちを無料で通わせれないかお願いに行くとのこと。

なんでこんなことが起きるのかも分からないし、なんでこんなにも知らない子に尽くせるのかも分からないし、自分に何が出来るのかも何にも分からなかった。

  

残り任期4ヶ月となって

このちょっと前に、任期を終えて帰国された調整員さんに、婦人服や子供服をもらっていたのを思い出して、少しだけど彼女らが使えそうな服を寄付した。考えたけど、今の自分にはそれくらいしか出来なかった。

確かに、80年代90年代の各国からの支援により30%近くあったHIVウイルスへの感染率は10%台へ落ちた。しかしそれは感染者の死亡により数が減ったことも理由に挙げられる。それに割合は関係ない。未だエイズにかかる人やエイズで苦しんでいる人が多くいる。

この20ヶ月、自分はそんな支援を本当に必要な人には何にも出来ていないなと考えさせられた。また、個人レベルでは大したこと出来ないなと思い知らされもした。健康な住民あってこそ地域も発展が出来るのに。

生活や活動に慣れ、色々忘れていたと気付ける良い機会に出くわした。途上国とはどんなものか、貧しいとどんな苦しい生活を送らないと行けないか、教育が行き届いていないとどんな弊害があるか。自分に出来ることは本当に小さなことだけど、これを肝に命じて残りの任期を頑張るのとそうでないのでは結果が違ってくる気がするので、考え改め直し。頑張りたいと思います。

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